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4.7 ブログ打ち直しで頭の中がだいぶ整理できてきた [自然農法:雑感]

(別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」で投稿した記事で、チャレンジ自然農法に関するものは、このブログで再掲することにします。)

 百姓を長く続けるには、“1に手抜き、2に手抜き、3、4がなくて5に手抜き”である。究極の手抜き農法は、何もしないで畑を放ったらかしにして収獲するだけ。
 これは人類が農耕を始める前の、採集狩猟生活時代の農法である。これを農法といえるかどうか、であるが、全部収穫しないで、うまく種がこぼれるようにしてやったり、より欲しいものは、種を別の場所にばら撒いてやったりするという、ちょっとした配慮、これも農法の一つであろう。
 これは、日本列島の場合、縄文初期、中期の農法で、実に豊かな食生活をしていたと思われる。どこもかも食べられる野草が幾種類もあったのであり、今でもそれは残ている。
 その土地その土地の、それも土質の違い、水はけの良し悪し、日当たり加減、などなどのわずかな自然条件の差異でもって、育ちやすい植物が違ってくる。よって、1里四方探し回れば、十分に欲しいものが手に入るのである。
 でも、現代では、それはかなわない。特に、当地沖積層にある畑は、その昔は河川の氾濫原であったから、自然のままでは何一つ定着するものはなく、根付く植物はない。縄文人から見放された荒れ地だ。
 そうなると、当地では、人間が好む野菜を無理やり作付けするしかなくなる。沖積層の砂混じり粘土、それも畑によって土質の違いがあるし、同じ畑でも東の方と西の方では砂と粘土の比率が違う。加えて、50cm下、1m下の土質は、これまた大きく違ってくることがあり、同じ畑でも水持ちの良し悪しが部分的に違ってくるのである。
 こうした地下深くも含めた土質の違いで、表層が同一土質であっても、畑の部分部分で土壌細菌叢が大きく異なってくるのである。よって、当地沖積層の畑を放置しておけば、それぞれの土壌細菌叢に最も適した植物がその部分部分で繁茂する。これは、ここ何年か、隣の畑が耕作を止められ、草刈だけしておられる、その雑草の生え方を見ていても分かる。
 うちは、ここ3年無肥料で野菜栽培をしてきて、1つの畝(約10m)で野菜の育ち方がまちまちになることが目立つようになり、なぜだろうと思っていたが、これが、以上のごとく概ね理解できるようになった。従前は肥料で無理やり育てていたのを、今では土壌細菌に頼りっぱなしにしたから、その差異が出たのである。
 そして、長らく資材置き場に貸していた区画や大きな樹木が植わっていた箇所は、旧来の土壌細菌が耕作地とはまるで違ったものとなっていて、畑に戻してもおいそれとは土壌細菌が変わってはくれず、野菜が育ちにくいことも分かった。
 ここ3年無肥料で野菜栽培をしてきて、それぞれの箇所での野菜の育ち方を再整理しようと、今、ブログ「チャレンジ自然農法」を打ち直し始めた。まだ3分の1ほどしか整理していないが、以上のごとく、頭の中がだいぶ整理できてきた。
 今年4年目となる連作・無肥料無農薬栽培。夏野菜の植え付け準備が待ったなし。土壌細菌叢がどうなってきているか、これをいかにして見極めるか、正念場である。
 ますますのめり込む自然農法。楽しみである。


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