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自然農法をいろいろ調べていくと摩訶不思議なことが出てくる自然界の現象 [自然農法:雑感]

 デジタルとサイエンス万能の時代となって、非科学的なものはすべて駆逐されてしまったように見えながら、怪しいものもかなり横行している、というのが現在です。
 前世、来世、チャネリング、臨死体験、オカルト的なもの……。世の中を注視して見ると、新興宗教も含めて「スピリチュアル」と言われるもの、あるいはそれに類するものが百出しているのに気づきます。

 これは、姜尚中著「悩む力」からの引用ですが、もう一つ別サイドから引用しましょう。それは、ノーベル医学・生理学賞を受賞された本庶佑・京大名誉教授が2018年10月1日夜、記者会見でおっしゃた次の言葉です。
 
 よくマスコミの人は(権威ある科学誌の)ネイチャー、サイエンスに出ているからどうだ、という話をされるけども、僕はいつもネイチャー、サイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割だと言っていますし、大体そうだと思っています。

 こうしたことからも、現代自然科学で正しいと言われていることには実に誤りが多く、ましてや未知の分野のことに関する論述は?マークが幾つもつき信憑性に乏しい、ということになりますが、しかし、現代の自然科学論文で何やらスピリチュアルめいていて論拠不十分なものであっても信じたくなる、信ずることを拒否する心があっても引きずり込まれそうになる、そうした経験を何度もしている小生です。

 さて、自然農法にはまり込んでいる身にあって、あれこれ調べるなかでそうしたスピリチュアルめいたものに何度も出合います。そうしたものを幾つか紹介しましょう。

 まずは、実に論理的に語られている「百姓モドキの有機農法講座」(炭素循環農法を骨子とした「たんじゅん農」のすすめ)のなかに次の記述があります。

 おまじないも・・・。
 おまじない: 雑草が消える?。理屈(結晶を歪ませる?)抜きで効果があれば良しとする ^^;。焼き塩100g/10aを代かき時にパラパラと水面に撒く(畑では2000倍液を200L/10a)。
 焼き塩:海塩を非金属(陶器など)の器に入れ、数百度の高温(ガスバーナー)で焼く。または直接、アルコールを塩にふりかけ火を点け燃やす(注意:一般的な炒り塩では温度不足)。

 これによる、撒く量がどれくらいになるかというと、1㎡当たり焼き塩はたったの0.1gです。通常の海塩となると、単なる食塩(塩化ナトリウム)でなく、にがり成分(塩化マグネシウムが主体で、他に塩化カリウム、硫酸マグネシウム、塩化カルシウムが微量)を数%含むものとなりますが、水で希釈すればミネラルはイオン化し、通常の畑でもマグネシウムイオンやカルシウムイオンは存在し、特に慣行農法で必須の「苦土石灰」由来のこれらイオンはたっぷり存在します。
 あらかじめ焼いたとしても水で希釈すればイオン化し、働きは同じになるはずです。
 これが現代自然科学の知見なのですが、現代自然科学で説明ができない、この「おまじない」を施すことによって、野菜の栽培において雑草の生え方が大幅に減ずるといいますから驚きです。
 「理屈抜きで効果があれば良しとする」という摩訶不思議な「おまじない」。小生には眉唾物にしか思えず、スピリチュアル的なここまでのことには付き合いきれないのです。

 南木曽木材産業(株)社長の柴原薫氏の講演録のなかで、昔からの言い伝えとして次のように紹介されています。(出典:みやざき中央新聞2765号)
 新月の日に伐採した木は、割れない、燃えない、腐らない、のです。なぜかというと、木は根っこから養分を取ります。満月のときは一生懸命下から養分を吸い上げますが、新月のときは「気を抜く」といって、養分を引き上げないのです。
 土の中に含まれている栄養を吸い上げないので木にあまり養分がありません。そのため割れにくくなって反りにくくなって燃えにくくなります。
 もちろん中には割れるものもありますが、割れにくくなるのは7割くらいだそうです。

 これもにわかには信じられない話ですが、新月、満月に関して、別の方が本に書かれているものがありますので、それを紹介しましょう。
 岡本よりたか著「無肥料栽培を実現する本」の中に次の記述があります。
 葉野菜の収穫の時は、作物の水分が葉に行きわたる満月の方がよいとか、水分が減った時のほうがおいしくなる果菜類は新月の時に収穫するとか、根菜類は地表面に地下水が上がっている方がよいとか、作物と月の動きというのは、切っても切れない関係にあるのです。満月の時と新月の時では地下水の水位が変わります。満月の時は地下水位が上がっている…。

 このお二方の共通する事項として、満月の時は植物が養分や水分を積極的に吸い上げ、新月では吸い上げなくなる、ということ。その原因として、岡本氏は地下水位の変動を上げておられます。
 満月・新月となると、太陽・月の運行そしてその天体の引力による潮汐力が密接に関わってきます。しかし、潮汐力は満月・新月どちらも同程度に強くなり、通常、地下水は地面の下で横につながっていますから、地下水も潮汐力が影響して横に動く、と考えていいです。(注:干潮・満潮の潮位は、潮汐力の強弱とは直接的に関係せず、潮汐力によって生ずる海水の長周期波動が地形の複雑さでもって千差万別なものとなって現れ、干潮・満潮の時刻のずれが大幅に異なる場所も往々にして存在します。)
 こうした潮汐力の現象からすると、満月・新月での地下水位の変動が原因するというのは間違った説明となります。じゃあ、地下水には潮汐力が働かないと仮定した場合はどうなるでしょう。新月の場合は 太陽・月が同じ方向から引力を働かせるも、地球は自転していますから昼夜で逆転し、地下水位の振幅は大きくなろうと思われるも、1日を平均すれば、満月の時と同じになりましょう。
 現実にはどうか、これを観測したデータがあります。ネット検索でやっと1つ見つけたのですが、1966年にネルソンがスウェーデンの井戸で40日ほど連続観測したもの(1972年水利科学83号で紹介)で、それによりますと、日変動を少々繰り返すも、地下水位は新月頃に一番高くなり、満月頃に一番低くなるというものです。なお、その差は10cm程度と出ています。
 ネルソンのデータがどこでも当てはまる現象となれば、岡本氏の「満月の時は地下水位が上がっている」という説明は真逆の間違ったものとなります。

 ところで、満月・新月の違いとして、もう一つ月光があります。これについて、岡本氏は同書で次のように述べておられます。
 種は発芽するのに光を必要とするものがあります。それを好気性種子と言います。この光とは月光、つまり太陽光が月に反射して届く光のことです。種子は月明かりがある方が、発芽率が上がると言われています。

 これが事実とすれば、木も野菜も満月には養分や水分を盛んに吸い上げて幹や葉が潤う、新月では吸い上げなくなるから幹や果菜は締まったものとなる、となりましょう。
 これまた摩訶不思議なことで、現代科学では立証されていないことです。
 小生思うに、こうしたことは単なる植物のバイオリズムであって、月の運行に同調したリズムが植物の生体内で刻まれており、そのずれを月光で補正してる、と考えたいです。
 それにしても、新月・満月で植物のバイオリズムに変化が生ずるとは驚かされます。

 現代科学でわりと解明されている現象もあります。先に紹介した柴原社長のお話。
 もう一つ「アレロパシー」というものがあります。森にクマが来ると、木がアレロパシーという物質を発して周りの木にそのことを伝えます。テレパシーではなくて地中の根っこからアレロパシーを伝えていくのです。そうすることで、いくつかの木がクマを引き寄せる成分を出して、他の木がかきむしられるのを防ぎます。
 キャベツでいうと、キャベツに虫がつく。すると、そのキャベツが犠牲になろうとして虫が好む糖分を出すそうです。全滅にならないように自分が犠牲になって食べられます。
 この話を聞いたとき「そんなことがあるのか」と驚きました。でも、木ってそうなのですよ。ひとつの木が犠牲になって他の木を守ろうとすることがあるんです。

 こうした現象は、自然農法の書物に頻繁に出てくることですが、科学的にだんだん解明されてきているようです。
 加えて、人間とのかかわりについても、興味ある実験データがあります。1996年、ウソ発見器の専門家クリーブ・バックスター博士が植物をウソ発見器に接続した際、植物が反応を示したことがきっかけとなって、広く研究されるようになったようです。
 バックスター博士の有名な一実験は次のようです。
 一般的に、人は嘘発見器にかけられ、身の安全が脅される時、情緒の起伏が生じ、恐怖心から皮膚の電気反応のグラフ曲線に変化をもたらすことが分かっています。
 植物の場合はどうか。どのようにしたらリュウゼツランに恐怖を生じさせるか。試しにリュウゼツランの葉をぎゅっと引っ張り、熱いコーヒーの中に入れてみました。その反応は、ノコギリの歯のようなギザギザの図のグラフを示し、あまり大きな起伏はなく、失敗に終わりました。
 しばらくして、突然、『葉を焼く!』という一念が頭に浮かんだのです。その途端、電極に繋がれたリュウゼツランの1枚の葉が反応し、機器の針は一挙に最上端を指しました。手元にマッチがなかったので、マッチを取りに秘書の机に向かって行くところでした。そのとき、私はリュウゼツランと約5メートルほど離れた所に立ち、機器とは約1.5メートルの距離でした。しかし、曲線は激しく起伏し、まるで葉が本当に焼かれていると感じているようでした。

 この例は、植物が人の感情をちゃんと読み取っている、というものです。こうした実験報告は山とあるようです。それをまとめられた方のサイトを下に貼りつけておきましたので、お時間がありましたらご覧ください。
 植物にも感情がある! それはまるで人間のようだ

 いずれも摩訶不思議なものばかりで、現代自然科学では説明がつかないものばかりですから、本格的な立証はされず、無視される傾向にあります。
 しかしながら、現行の慣行農法(化学肥料と農薬使用)は最新の自然科学的立証で裏打ちされた最適かつ合理的な農法であると教えられ、これが正しい農法と決めつけられてきていますが、しかし、慣行農法は大自然の真理とは大きくかけ離れた、とんでもない間違いだらけの農法であることは、自然農法に少しでも携わった方には、小生も含めて、自明の理です。
 農学者の多くがこうした方向で研究を重ねていただければ、間違いが正され、慣行農法から自然農法への大転換が図れるのでしょうが、いかんせん、高度に発達した金融資本主義社会にあっては、銭という魔物に人々は支配され、“間違いが正しいのだ!”とされてしまい、残念ながら永久にそれが是正されることはないでしょう。

 自然農法は、孤軍奮闘し、たった一人で、せいぜい少ない仲間と情報交換し、試行錯誤しながらやっていくしかありません。そして、未知なる分野については、オカルト的と言われるようなものであったりスピリチュアルと言われようなものであっても毛嫌いせず、試しに取り組んでみるという勇気も必要になりましょう。
 小生の場合は、先に書きましたように“焼き塩のおまじない”は敬遠してしまいますし、何もかもおっかなびっくりの取り組みで、いかにも保守的。加えて、一部の野菜には滅多に使ったことがない農薬を使ってみたり、急きょ施肥してみたり、と、行きつ戻りつ、優柔不断。
 でも、百姓経験から一つだけ“これは正しい”と直観力でもって感じとったことがあります。それは“植物にも心がある”ということです。動ける生き物である動物・ヒトは、植わっていて動けない生き物である植物に何をしてあげたらいいかを聞き取り(まだ自分勝手に考える段階から脱していませんが)手を差しのべてあげ、いつくしむ。収穫のときは心から野菜に感謝を捧げる。そうしたなかから、どんな農法を野菜君たちは期待しているのか、それが少しずつ分かってこないか、そう願っています。
 そして、最終的には、野菜君たちとの会話ができるようになったとき、自分なりの自然農法が完成することになるのではないでしょうか。
 何年先にそうなってくれるか定かではありませんが、こまめに畑に通い、野菜君たちの成長具合をしっかり見て、彼らから何か反応がないか、注視しなきゃいかん。そう思っているこの頃です。

(参考)関連記事
  自然農法が宗教性を帯びてくる必然性

 
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2018.11.14 休耕田の枯草を完璧に有効活用 [自然農法:雑感]

(別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」で投稿した記事で、チャレンジ自然農法に関するものは、このブログで再掲することにします。)

 無肥料・無農薬を標榜する自然農法も様々なやり方がある。百人百様と言っていいだろう。また、そうでなければならないのではなかろうか。場所場所によって環境条件が違うであろうし、手に入る資材も変わってくるからだ。
 うちの特殊事情としては、万年休耕田があり、年に2、3回草刈りした枯草が田んぼにたっぷり眠っている。これを有効活用しなくてどうする、である。
 野菜が育つ自然の状態では、うっそうと生い茂った雑草と競争・共生しながら、元気に育つというものだ。ところが、うちの自然農法野菜栽培は、支障のない程度に雑草を生やしているものの、生い茂るほどには全然なっていない。
 だったら、畑の雑草が枯れる今頃に、休耕田から枯草を運んできて畑の畝に敷けばいいのである。これが朽ち果て、来年の夏には土の表面をべったりと覆い、やがて栄養素が土壌に入っていくことになる。
 そう考えて、一毛作の夏野菜の畝、これは来季用の畝がすでに出来ており、随分前に休耕田の枯草を敷いた。また、今期の冬野菜で畝に枯草を敷けるキャベツ類にも休耕田の枯草を敷いてある。間もなく選り終わる大根にも敷く予定だ。(ハクサイ、イチゴ、ニンニクには耕作をお願いしている田んぼから刻み藁を回収して敷いた。)
 そして、一毛作の山芋とサツマイモ&メロンの来季用の畝づくりが昨日で終わったから、これらの畝にも今日、たっぷりと休耕田の枯草を敷いた。
 そうしたところ、休耕田に残った枯草はわずかしかなくなった。大根と間もなく収穫する里芋の畝に敷いたら、足りないくらいだ。
 枯草をあちこち敷き終わって眺めるに、かまぼこ型の畝が枯草ですっぽり覆われた姿というのも、またいいものである。
 今日は店番を女房に任せ、一日百姓仕事。その大半を、何度も休耕田から枯草を回収し、畑に運んで、畝を枯草で覆うという作業に費やした。
 今年初めて本格的に行った枯草被せ。また一つ違った形の自然農法への取り組みである。充実感にあふれ、心地好い疲れ。
 ところで、自然農法に取り組みだしたら、慣行農法(施肥、畝の雑草削り、農薬散布)よりも労働量が多くなってしまった。まあ、ここは、土壌細菌が適正化されるのに1~3年かかるということだから、しばらく我慢しよう。土壌細菌が適正化されれば、たいていは放任栽培も可能になるとのことだから、それを楽しみにして。

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